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2006年01月06日

飛翔2006

明けましておめでとう皆さん。良い正月を過ごす事は出来ましたか??
俺は実家にて子供達と遊びまくっていました。以前flow-warの日記で毎年実家での凧揚げの模様を書いていたのですが今年も凧を揚げた3日の夜から書き始め今日6日までかかってしまい年明けムードが残る中、正月行事の「凧揚げ」の模様を楽しんで頂ければ嬉しいです。今年もパーッとよろしくです。


《2006飛翔。凧揚げ日記》
本日は姪二人と従妹のお嬢さん一人、家族ぐるみの付き合いの家のお嬢さん一人と計五名で凧揚げをした。毎年満園家の血を燃やすこの行事。今年もやはり燃えたというか俺たちはとうとう限界まで行ってしまった。
凧は洋凧の三角のものでいわゆるゲイラカイトといわれる物である。昨年まで飛ばしていた凧は昨年正月の終わり強風により糸が切れ遥か彼方に旅立ってしまった。走って追ったが工場地帯の向こうまで行ってしまい夕闇迫る空お別れをした。
さて今年は実家にニュー凧が二個待ち構えていて8才になる姪二人に当然のように誘われ遊びに来てくれたお嬢さん二人と計五人で弱風の中勇ましく荒野へと向かった。風は一見穏やかで飛ぶかどうか不安だったが上空の方は強いらしく凧は思いのほか飛んだ。凧を買うと付いてくる20メートルほどの糸はアッと言う間に尽き姪の一人が「もっと高く飛ばしたい・・」と一言。そりゃ俺の姪だ・・もっとどこまでも飛ばしたいだろう・・一つだけ予備に持ってきた凧糸を足してあげた。あれよあれよで更に20メートル飛翔!!大空にご機嫌である。
案の定と言うか当然もう一人の姪も「うちももっと高く飛ばしたいな・・」と・・そりゃそうだ。一緒に行ったお嬢さん二人に子供を任せて凧糸を物置に探しに行った。去年の物はもうクチャクチャに成るまで使いきってて無い。結果凧糸はどこにもなかったが今まで一度も凧揚げに使ったことはない古新聞を縛るようなビニール紐(業務用特大サイズ)が見つかった。「まぁーこれは凧揚げには無理だけど『これしか無かったよー・・』とウケでも狙って笑って諦めてもらおう・・」とそのドーナツ状の白いおっきなビニール紐(業務用特大サイズ)に手を通して現場に戻った。
女性四人は仲良く上手に飛ばし続けている。優雅で平成の正月絵巻と言ったところか・・俺も自然と会話に復帰して何気なくのどかにしていたのが束の間「しょうちゃん凧糸あった??」と女姓四人の目がこちらを向き任務を促されるが「よし・・今だ・・」と思い。ギャグとも思える特大サイズのビニール紐を見せて台本どおり「これしか無かったよ・・」とオチを着けようとしたが少し間を空けて姪が一言「それでもいい」と真顔で言われてしまった。さすが我が血統。ビニール紐を考えると300メートルは有りもし飛んだら飛距離も後片付けもとんでもない事になるだろう・・これが得策か考えたが挑戦せずに諦めるよりやって失敗する事や次の工夫を経験させてあげた方が良いと思い「わかった!やってみよう!!」と凧糸にビニール紐を結んであげた。喜んで紐を送り出す姪。シュルシュルシュルシュルー!!と紐は音をたて凧はグイグイと天に昇る。また概念を打ち砕かれた瞬間である。ビニール紐で凧を飛ばす事は楽勝に出来るのである。
少々滑稽だが楽しそうに紐を送り出し続けている姪を咎める事無く見守っていたり、凧の真下まで走って行って「ここの真上たぞー!!約100メートル!!」と叫んでるうちにみぞれや雪が降って来たがお構いなしの五人だった。
俺はあの日一月三日の夕方、最終的に200メートルは飛ばした姪達に「今日俺たちのやった凧揚げはきっと日本一高い!!と言う事は・・世界一かもな!!」と言ってあげた。姪達は喜んだ様である。
しかし限界まで行き悟った事がある。凧が見えなく成るほど揚げてしまうと虚しい物で・・糸は引かれるがどんどん凧がただの黒点と成って行き、少々手応えの有る紐を引いたり引かなかったりしてるだけの訳の分からぬ遊びに成ってしまうからである。夕方になり紐をたっぷり巻き終わり自称日本一の凧揚げは幕を閉じた。来年がまた楽しみである。
正月に凧を揚げて空を見つめながら一年を思う事が恒例になってきた俺ですが、今年もご存じの通り大忙しに成りそうで沢山の事を焦らず考える毎日です。力は抜いて気は抜かず良い活動が出来ればと思います。
改めて今年もよろしくです。一緒にどこまでも行きましょう。
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飛庄