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2007年02月21日

きまぐれ庄日記(2006.6.4~6.20)

大満月の初台ドアーズのライブに始まり、北京での紀敏佳(ジー・ミン・ジャ)のライブにスタジオでバースデーパーティーにワールドカップと・・盛り沢山な去年の六月のモバイル日記です。
北京でのこのライブが切っ掛けで満文軍の『人民大会堂』のライブに繋がりました。
この頃は何もわからずに万里の長城に遊びに行ったり、ラクダに乗ってはしゃいだりしていました。
六庄



2006.6.4[Sun]メンバー紹介??

本日は大満月の初台THE DOORSでのライブです。
三日前と二日前にはそのリハーサルを行った。今回代打を引き受けてくれた黒瀬君は、ビシバシと曲を覚えて来てくれて終始楽しく円滑なリハーサルだった。
エリカは、俺と大島くんから黒瀬君の数多くの伝説は聞いているが、実物とゆっくり話した事はなく興味津々の模様・・。
それだからか?!メンバー紹介では「オンギターサイバーハジメ!!オンギターマシンガンカズ!!そして続いてドラマーは・・」と英二の時には《スネークエイジ》と言っていたが黒瀬君には「オンドラムス!ヘッポコポッポコカイチ!!??」と訳の解らぬ聞き取れない事を言っていた・・。
何て紹介していたのか?!今日の本番で確かめよう・・。
今日のライブもいつも以上に最高にします。皆さんも俺と同様にお楽しみに。
ズキューン!!
刀庄(08:46)


2006.6.5[Mon]『北京へ

昨夜は大満月の二回目のライブでした。来てくれた皆さんありがとう。
そして今は朝五時に起きて成田空港に居て北京に仕事です。
初の中国・・楽しみです。
華庄(10:09)




2006.6.8[Thu]『北京モーニング

北京の今は午前9時半。東京は1時間足して午前10時半になる。仕事をしているあいつは休憩時間の頃だ。学生の君は1限目か。主婦のあのこは一息ついている頃・・大島君は徹夜でミックスしている頃。
俺は北京のホテルの24階でボンヤリと昨日とその前と仲間達の顔を回想している・・。
昨日は大満月のライブで深夜2時まで打ち上げして帰宅。2時間程寝て朝5時半に起きて成田に向かい、10時25分の便で3時間飛び、こちらの昼2時からのリハーサルに合流した。
すでにリハーサルは始まっているはずだったが、今会場が初のライブ『こけら落とし』と言う事で、対処することも多いらしく待機状態。
先に北京入りしていた西山さんブッチャーさんと慌てる事無く合流した。
今回サポートするアーティストは紀敏佳(ジー・ミン・ジャ)さんと言って北京の人気女性シンガーである。
誘ってもらったのは二ヵ月程前で、初の北京での演奏は楽しみであった。この一ヵ月間に時間をみては曲を覚えて弾いて機内でも仕上げのインプットをして完全状態で来中した。
中国はやはり日本国内とは違い、楽屋待機は思ったより長く時にこまごまと、時に急に、時に綿密に一個一個進み最終的には丸っと12時間かかった。
屈強な日本人スタッフ現地スタッフと明日の成功を祈り、会場を後にして深夜三時にチェックイン、それから晩飯の『焼肉屋』である。先に出てきたビールとキムチや青唐辛子を食べたら一気に目が覚めた。
一度は眠りかけたブッチャーさんは、それでエンジンにターボがかかり、マシンガントークが炸裂。しかし西山さんはお寝むの模様。宴も控えめに明日に備え4時頃にホテルへ到着、チェックインをようやく済ませた。
一人になり、広い部屋で冷蔵庫のハイネケンを飲んでテレビを眺め、24時間ぶりに眠りに落ちた。
そして本日は中国北京での初ステージ。いつも通りブイブイ頑張ります。
北庄(20:33)
(この写真はホテルの窓からの物でスモッグがかかっていました。)


2006.6.9[Fri]『万里の山

昨日6月7日は万里の長城に行った。『中国人たるもの一生に一度は登らねばならぬ万里・・』だそうだが、まさかそんな悠久なる大儀を持たぬ俺が、こんなにも早く制覇するとは夢々思っていなかった・・。そしてそれはとんでもない代物であった。
先ずは凸凹の山々がある・・それも車で登ること40分程の険しい場所に、永遠に続く連山に継ぐ連山。それに沿うように三階建てくらいの、まるで竜の背びれのようなバリケードが綺麗に縁どられている・・これが万里と続く。人間わざとは信じがたい。
そして巨大建造物と言えば、サンピエトロ寺院にピラミッドにアンコールワットに東大寺と人や神仏をまつる物が主流だが、万里の長城は主にバリケードである。
国や民や領を護る為にこれを考えついて着工に踏み切ったかつての人々は、本当にダイナミックでアメージングである。モンゴルがそれほどの脅威だったのか・・弓を射る為の覗き穴は敵国側にだけ開いていて今も頑丈であった・・。
これは今後に大陸が沈むほどの地殻変動が無いかぎり何億年と残るだろうと思いました。
皆さんもいつか行ってみては・・圧巻でした。
万里庄(09:18)


2006.6.11[Sun]郡上八幡

今日は岐阜県の郡上八幡に来た。
名水百選に挙げられる『宗祇水』という清水から柄杓にすくいグッと飲み干す。
山の空気に益してすごく染みた。郡上八幡は歩くのも楽しい。
皆さんもハードな夏の前にスペシャルな休日を。
滝庄(17:33)


2006.6.16[Fri]『ありがとうの日

昨日は大満月の曲作りで一日スタジオにいた。
二つも次のライブが決まりそうで新曲作りにも俄然、力が入る中23時頃に作業が終了した。
するといきなり室内が暗くなりケーキと共にハッピーバースデーの歌が流れた・・「誰の誕生日!??」と思った瞬間に俺だと気が付いた。スタッフと仲間とメンバーでそれからドンチャン騒ぎがスタート!!終始大笑いした。
4時頃に眠くなり、気が付いたらソファーで落ちていた。目が覚めたのは朝の7時半頃・・大島くんとジャスティンだけが残っていてまだまだワイワイやっている。寝呆ける間もなく再び参戦!!
昼の12時頃までパーティーは続き12時間に及ぶドンチャン騒ぎは大島くんの寝顔に『ハクション大魔王』のようなイタズラ書きをすることで終わった・・。
仲間達、ありがとう。これからも任せてくれ。どこでも行ってやるぜ。
礼庄(3:00)


2006.6.18[Sun]戦いのちょっと前

本日はサッカーのクロアチア戦。
先日のオーストラリア戦の時は大満月のスタジオの日で、11時頃に業務を終え、その頃にエリカの友人からのメールで試合がある事を思い出した。
結果は皆さんご存じの通り。俺も悔しい思いをしてスタジオから終電あたりに乗ろうと地下鉄駅に行くと、失意を帯びたサムライブルー達で駅は溢れていた。
あまりの人数に驚いた。改札も長いエスカレーターもホームも車内も押し黙る人、人、人・・唇を噛み締める少年少女達を見て悔しいんだろうと心中察した。
2002年の日韓大会の時も俺は六本木で体験していた。黒瀬くんと普段と違うこの街を楽しんだ。
今日もドイツのサムライブルーに良い風が吹きますように。
必庄(22:48)


2006.6.20[Tue]『さくらんぼ

毎年実家から送られてくるこの時期の風物詩『さくらんぼ』。
つるの部分を舌で結ぶ勝負を今でもする人はいるのだろうか?喫茶店の物と違い採りたてのこれは一気にバクつくに限る。
皆さんもビタミン豊富な目の覚める日々を。
果庄(19:25)

2007年02月03日

2007 人民大会堂にて燃える!!

北京・・。13億人の大国、中華人民共和国の首都である。
1972年に国交が正常化されて34年が経ち、今では随分近い国になりつつあるが、未だに我が国とは多くの話し合いがもたれる亜細亜随一の超大国・・今回はそのド真ん中での話。

音楽プロデューサー兼、キーボーディストの菊地圭介さん、ギタリストの西山毅さん、ドラマーの橋本章司さん、シンガーの伊丹谷良介君、そしてベースの俺とで昨年は香港・北京で何度か演奏したのだが、今回このバンドに舞い込んだ話は、中国13億人の中のトップシンガー満文軍(マンウェンジュン)との共演で、場所は国の中枢機関、日本の国会議事堂にあたる人民大会堂で行われるものでした。
メンバーは俺も含め数々の大ステージをこなしてきたプレイヤーだが、今回のライブは中国の国会議事堂・・、しかも我々日本人がその舞台に立って演奏をすると言う事は、今まで“有りえない事”とされていて、このライブには秋口から並々ならぬ心構えで俺はいた。
そして冬になり曲が小分けに届き始めた、最初はスムーズに《頭からの6曲》とかだったのだが・・。
気が付けば年末になり台湾地震等でのプロバイダトラブルの影響や、その他、予想されていたライブ進行上のアレンジの変更や、楽曲の差し替えや、キーチェンジなどが多々あり最終的に全25曲が完全に手元に届いたのは北京に飛ぶ前日であった・・。
俺と西山さんは、最初は「1度に全曲届いても無理だし、徐々にインプットしてさ・・」と余裕だったのだが、その順調が崩れはじめ、気が付けば日はグングンと迫り、少しでもデータが送られて来るたびに早朝、深夜に係わらず連絡を取り合い、「今回の資料は、1曲は新曲で1曲はアレンジ変更でもう1曲はドラムとベースが差し変わっているようです。」と渋谷のハチ公前で何度となく待ち合わせ、白い息でCD-Rを受け渡し、ドギマギと年末年始を過ごした。

徐々に届く満文軍(マンウェンジュン)の音楽を聞く日々・・。
聞き慣れた8ビート、16ビートもあるが大半がバラードでテンポもメロディもすごくゆったりしていて大陸的な長大な曲が並ぶ・・。
「この曲群を人民大会堂の観衆の前で演奏するのか・・」と畏怖を感じながら、やれる限りの事を自宅で整理して集中・・1月の13日に大陸に飛んだ。
飛行機で4時間・・新幹線で東京~広島くらいの時間だが、北京へは国境と1時間の時差を越えて空港へと着いた。
北京は夜の10時過ぎで超極寒である。しかしそれを嘆く間もなくスタジオへ・・この日はサウンドチェックと楽器のチェックのみを1時間程して夕食(飲茶)に連れて行ってもらった。
そこでライブの成功を願い乾杯。程なくホテルにチェックインした。
・・さて、ここから怒濤の8日間のスタートである。
まだ体に入っていない曲が沢山あり、ライブ当日まで徹底的に叩き込む覚悟を決め徐(おもむろ)に一度目の部屋練・・。
言葉の解らない国、ルールの違う国、電圧の違う国・・、リハーサルに、本番に何が起こるか解らない・・。
俺は遠い北京にまで来たが「とにかく覚えるのみ・・」と、一歩もホテルを出ずに浅い眠りと練習、復習を繰り返して、集合時間にだけロビーに降りてバスに乗ってスタジオに入り、西山さんが大好きなマクドナルドのハンバーガーを食べて、毎日10時間に及ぶ練習をコツコツとこなした。

満文軍(マンウェンジュン)とはリハの2日目に初顔合わせ、先ずはフルーツとワインを持って挨拶に来てくれてそのまま乾杯!!
「北京を存分に楽しんでください。」と、とても紳士的に接してくれた。
そして3日目からは一緒に練習をこなした。
彼は俺の一つ年上で、雰囲気こそ寡黙だが唄う姿勢は熱く、ストイックな芯の強いシンガーだと思った。一緒に過ごすに連れて笑顔も増え「良い演奏で応えたい」と思った。 

本番までのカウントダウン・・。
中国と日本のミュージシャン、スタッフがそれぞれ力を合わせて『“有りえない“と言われていたライブを成功させたい。』と言う目標が間近になり、各々“自分の役わりは何か??”を冷静に考えていたと思う。
今回、俺は年末から本番まで満文軍の楽曲を弾き続け、“中国の人民大会堂だから“と構えたが、結局、俺の役目は「観ている人をハイにする日本から来たロックベーシスト」と言うのが再認識できた。
すると曲も構成も気持ちも整理できた。場所は人民大会堂だが「いつも通りパーッと小気味の良いステージが出来ればそれでよし・・」と思えた頃、本番が来た。
 さてライブ・・。曲は何とか覚えきり“やるだけやった”と言えるコンディションを完成させた。
後は凡ミスを恐れずにライブを楽しむだけである・・。
中国“人民大会堂”の天井にある巨大な赤い星の下で満文軍(マンウェンジュン)をセンターに日本のバンドと中国のコーラスの三人がステージに立ちライブはスタートした。
 中国の観衆は静かに座って演奏を聴き、曲が終わるやいなやビックリするくらいの大きな拍手を巻き起こすのが普通の楽しみ方のようで、我々はその呼吸に驚きながらも「この雰囲気に早く慣れてリラックスした大きなライブを・・」と思っていると、今までの2ヶ月が嘘のように「あっ」という間に終盤に。そしていよいよクライマックス・・。
俺も西山さんも大好きな曲で満文軍の代表曲の「懂你(ドーニー)~君の事~」では会場全体が割れんばかりの大合唱となり俺はまた「凄いステージに立てたな・・」と感極まりながら演奏させてもらった。
全プログラムを終え最後は大観衆は立ち上がりステージに駆け寄り「満文軍!!満文軍!!」の大歓声の中アンコールに突入。
一曲応えて大拍手の中で人民大会堂ライブは幕を閉じた。

 ライブ終了後、慌ただしいバックステージにて・・。
演奏を観ていたのか、ライブ前より楽屋で、廊下で、トイレで、笑顔で話しかけてくれる人の多いこと・・。「謝謝!!(ありがとう)」と俺は感謝の気持ちで応えた。
そんな中、中国で7年も活動している伊丹谷君が「勝利の一服に行きましょう!!」と誘ってくれた。
こちらで色々な経験をして、悲喜交々なライブをやってきた彼が、タバコに火を着けるやいなや「よかった・・」と笑顔を見せてくれ、俺も何だか安心して凄く嬉しかった。

 満文軍の代表曲「懂你(ドーニー)~君の事~」は日本の「昴」のような国民的な曲と聞いた。
それを中国一の大会堂で思いっきり弾く事が出来た。それが全てでした。
ギリギリの状況でも、いつも通りベースをケースに入れ肩に担いで行き、その日の仲間と演奏する・・という俺のなりわい。
今回は少々ダイナミックな話でしたが、いつもよりちょっとだけ、頭も心もシビレた最高の経験でした。
日中の共に携わった皆さんに心よりお疲れ様!!ありがとう!!そして謝謝!!

満園庄太郎