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2007 人民大会堂にて燃える!!

北京・・。13億人の大国、中華人民共和国の首都である。
1972年に国交が正常化されて34年が経ち、今では随分近い国になりつつあるが、未だに我が国とは多くの話し合いがもたれる亜細亜随一の超大国・・今回はそのド真ん中での話。

音楽プロデューサー兼、キーボーディストの菊地圭介さん、ギタリストの西山毅さん、ドラマーの橋本章司さん、シンガーの伊丹谷良介君、そしてベースの俺とで昨年は香港・北京で何度か演奏したのだが、今回このバンドに舞い込んだ話は、中国13億人の中のトップシンガー満文軍(マンウェンジュン)との共演で、場所は国の中枢機関、日本の国会議事堂にあたる人民大会堂で行われるものでした。
メンバーは俺も含め数々の大ステージをこなしてきたプレイヤーだが、今回のライブは中国の国会議事堂・・、しかも我々日本人がその舞台に立って演奏をすると言う事は、今まで“有りえない事”とされていて、このライブには秋口から並々ならぬ心構えで俺はいた。
そして冬になり曲が小分けに届き始めた、最初はスムーズに《頭からの6曲》とかだったのだが・・。
気が付けば年末になり台湾地震等でのプロバイダトラブルの影響や、その他、予想されていたライブ進行上のアレンジの変更や、楽曲の差し替えや、キーチェンジなどが多々あり最終的に全25曲が完全に手元に届いたのは北京に飛ぶ前日であった・・。
俺と西山さんは、最初は「1度に全曲届いても無理だし、徐々にインプットしてさ・・」と余裕だったのだが、その順調が崩れはじめ、気が付けば日はグングンと迫り、少しでもデータが送られて来るたびに早朝、深夜に係わらず連絡を取り合い、「今回の資料は、1曲は新曲で1曲はアレンジ変更でもう1曲はドラムとベースが差し変わっているようです。」と渋谷のハチ公前で何度となく待ち合わせ、白い息でCD-Rを受け渡し、ドギマギと年末年始を過ごした。

徐々に届く満文軍(マンウェンジュン)の音楽を聞く日々・・。
聞き慣れた8ビート、16ビートもあるが大半がバラードでテンポもメロディもすごくゆったりしていて大陸的な長大な曲が並ぶ・・。
「この曲群を人民大会堂の観衆の前で演奏するのか・・」と畏怖を感じながら、やれる限りの事を自宅で整理して集中・・1月の13日に大陸に飛んだ。
飛行機で4時間・・新幹線で東京~広島くらいの時間だが、北京へは国境と1時間の時差を越えて空港へと着いた。
北京は夜の10時過ぎで超極寒である。しかしそれを嘆く間もなくスタジオへ・・この日はサウンドチェックと楽器のチェックのみを1時間程して夕食(飲茶)に連れて行ってもらった。
そこでライブの成功を願い乾杯。程なくホテルにチェックインした。
・・さて、ここから怒濤の8日間のスタートである。
まだ体に入っていない曲が沢山あり、ライブ当日まで徹底的に叩き込む覚悟を決め徐(おもむろ)に一度目の部屋練・・。
言葉の解らない国、ルールの違う国、電圧の違う国・・、リハーサルに、本番に何が起こるか解らない・・。
俺は遠い北京にまで来たが「とにかく覚えるのみ・・」と、一歩もホテルを出ずに浅い眠りと練習、復習を繰り返して、集合時間にだけロビーに降りてバスに乗ってスタジオに入り、西山さんが大好きなマクドナルドのハンバーガーを食べて、毎日10時間に及ぶ練習をコツコツとこなした。

満文軍(マンウェンジュン)とはリハの2日目に初顔合わせ、先ずはフルーツとワインを持って挨拶に来てくれてそのまま乾杯!!
「北京を存分に楽しんでください。」と、とても紳士的に接してくれた。
そして3日目からは一緒に練習をこなした。
彼は俺の一つ年上で、雰囲気こそ寡黙だが唄う姿勢は熱く、ストイックな芯の強いシンガーだと思った。一緒に過ごすに連れて笑顔も増え「良い演奏で応えたい」と思った。 

本番までのカウントダウン・・。
中国と日本のミュージシャン、スタッフがそれぞれ力を合わせて『“有りえない“と言われていたライブを成功させたい。』と言う目標が間近になり、各々“自分の役わりは何か??”を冷静に考えていたと思う。
今回、俺は年末から本番まで満文軍の楽曲を弾き続け、“中国の人民大会堂だから“と構えたが、結局、俺の役目は「観ている人をハイにする日本から来たロックベーシスト」と言うのが再認識できた。
すると曲も構成も気持ちも整理できた。場所は人民大会堂だが「いつも通りパーッと小気味の良いステージが出来ればそれでよし・・」と思えた頃、本番が来た。
 さてライブ・・。曲は何とか覚えきり“やるだけやった”と言えるコンディションを完成させた。
後は凡ミスを恐れずにライブを楽しむだけである・・。
中国“人民大会堂”の天井にある巨大な赤い星の下で満文軍(マンウェンジュン)をセンターに日本のバンドと中国のコーラスの三人がステージに立ちライブはスタートした。
 中国の観衆は静かに座って演奏を聴き、曲が終わるやいなやビックリするくらいの大きな拍手を巻き起こすのが普通の楽しみ方のようで、我々はその呼吸に驚きながらも「この雰囲気に早く慣れてリラックスした大きなライブを・・」と思っていると、今までの2ヶ月が嘘のように「あっ」という間に終盤に。そしていよいよクライマックス・・。
俺も西山さんも大好きな曲で満文軍の代表曲の「懂你(ドーニー)~君の事~」では会場全体が割れんばかりの大合唱となり俺はまた「凄いステージに立てたな・・」と感極まりながら演奏させてもらった。
全プログラムを終え最後は大観衆は立ち上がりステージに駆け寄り「満文軍!!満文軍!!」の大歓声の中アンコールに突入。
一曲応えて大拍手の中で人民大会堂ライブは幕を閉じた。

 ライブ終了後、慌ただしいバックステージにて・・。
演奏を観ていたのか、ライブ前より楽屋で、廊下で、トイレで、笑顔で話しかけてくれる人の多いこと・・。「謝謝!!(ありがとう)」と俺は感謝の気持ちで応えた。
そんな中、中国で7年も活動している伊丹谷君が「勝利の一服に行きましょう!!」と誘ってくれた。
こちらで色々な経験をして、悲喜交々なライブをやってきた彼が、タバコに火を着けるやいなや「よかった・・」と笑顔を見せてくれ、俺も何だか安心して凄く嬉しかった。

 満文軍の代表曲「懂你(ドーニー)~君の事~」は日本の「昴」のような国民的な曲と聞いた。
それを中国一の大会堂で思いっきり弾く事が出来た。それが全てでした。
ギリギリの状況でも、いつも通りベースをケースに入れ肩に担いで行き、その日の仲間と演奏する・・という俺のなりわい。
今回は少々ダイナミックな話でしたが、いつもよりちょっとだけ、頭も心もシビレた最高の経験でした。
日中の共に携わった皆さんに心よりお疲れ様!!ありがとう!!そして謝謝!!

満園庄太郎