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2011年11月11日

長野駅にて

今朝は長野駅に居る。現在は7時20分で、駅前のコンビニで新聞とコーヒーを買ってバス乗り場のベンチに腰掛け噴水の音が心地よい。
日曜日とあって人通りもまばら、気温は12度とちょっぴり寒いです。

今回の長野と草津はプラッとバカンスで来ている。
金曜日は雨だったが、昨日と今日は晴れていて最高だ。今日帰るのが惜しまれる。 昨日見た草津温泉の湯畑は凄かった。白根火山の湯釜も巨大で神秘的だった。
皆さんも良い休日を。

休庄

2011年11月02日

30年後の夕日

今から30年前にオレは11歳だった。
その頃、ガンダムの再放送が始まりでプラモデルが大ブームになりドムやザクやズゴックなどを一生懸命造った。デカール(文字や数字のシール)を貼ったり、ジオラマ(ガンダムに合わせた森や砂漠のミニチュア)を創ったり、目に発光ダイオードを仕込んだり、創意工夫を凝らして毎日頑張った。今もハッキリ覚えている。
スポーツではサッカーが流行りだした。家では少年ジャンプを購読していて丁度「キャプテン翼」の連載がスタートした頃だと思うが、我が家では宮たけしさんの「ゴー!シュート!」が人気で単行本を暗記するほど読んでいた。(確かキャプテン翼より2年程前に連載していた。Drスランプやコブラも大人気だった。

9歳の頃から鍵っ子だったオレは、この頃に塾にもいっぱい通っていた。友達は流行りのゲームセンターでパックマンだのドンキーコングなどやっていたが、オレは公文とソロバンと習字とサッカークラブに通っていて、しかも夜にはプリント学習なる出版物の宿題までやっていて大忙しだった。

女の子を意識しはじめたのもこの頃だ。まーそこそこモテてはいたが、奥手だったのか女子と遊ぶ事が苦手で、楽しそうに遊ぶ早熟な男子を羨ましく思っていた。そしておバカな友達と欽ちゃんの番組やカックラキン大放送の話をして過ごしていた。

長兄は当時16歳になった頃で、家には色々な音楽が流れ始めていた。YMOにアリスに柳ジョージに洋楽ではクラフトワークなど・・家に初めてギターが来たのもこの頃だ。(最初はアコギだった)

30年前は遠い遠い世界。だが今も鮮明に思い出せる。

この度、東京電力が福島第一原発の冷温停止を完了させて核燃料を取り出し、そして大破した原発の解体まで30年が掛かると発表した。

あの11歳の日々から今までの時間が掛かる。改めてとてつもない事故だった事が分かる。

地震のゆれ。津波の映像。3月の暗い街。そして原発の事故と恐怖をオレは深く感じた。

30年後に子供達と今日のような美しい夕日を見ていたい。そして原発の再稼動には承服しかねる。安全な実用可能な新しいエネルギーを切望する。

我が家は節電は依然続行している。今後もずっと続ける。自分の食べる物は福島産で平気だ。放射能の影響や汚染物の処理を考えると震災の被害はまだまだ当分終わらないのが事実だ。

とにかくこりごりだ。金や嘘が人を惑わして何が大事なのかが分からなくなっているこの世の中。世界中の子供達に明るい未来を贈らなくちゃいけない。それが大人達の使命だと思う。オレは惑わされずに生きる。
30年後は71歳か。絶対にピンピンしていてベースもバリバリ弾いててやる!

41庄