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2005年08月28日

馬子にも衣裳?!

今年の夏は沢山遊んだしライブも毎週やりました。エクセレントでした。
その中でも特別なディティールは秋田の竿燈祭りライブだと写真を眺め思います。
このまま自分だけが見て思い出として閉じようかとも思いましたが、それもつまんないと思いアップします。番外編です。あの夏の日に男衆はイナセなパフォーマンスをしました。
どうぞ御覧あれ。ほくそ笑みなされ。


2005年08月20日

灼熱の日のナンバー

忘れた頃にやってきたWILD FLAGのセットリストを知りたかった人が結構いました。
ライブ直後すぐに恭司さん自ら編集したCD-Rを聴き、当時以上のパワーとクオリティーと歓声を感じます。三枚のアルバムを世に残せて本当に良かったと活動停止直後、自棄(やけ)気味に成ってた自分に伝えてあげたいです。
真摯に前に進み続ければ必ず好いことが待っているのはどうも本当です。それぞれが他の現場で得てきたキャリアが良い作用を起こした素敵なテイクです。
改めて参加してくれた皆さん楽しかったです。ありがとう。音楽をする事の豊さを年々鰻登りに感じます。
ROCKEN ROLL!!

WILD FLAG~2005.7.30 at the DOORS~
Set List


・She's So Hot
・Magic Woman
・Live To Be Wild
・Rock'n Roll Train
・Nobody Knows
・Don't Think About Yesterday
・I'm A Boy
・即興リクエスト曲
・Fire
・Wild Streets Corner
・Freedom
・Hunmter
・Going On
・Count Down
・・・Encore-I-
・Fight It Out
・・・Encore-II-
・Purple Haze
・・・Encore-special-
・Wild Thing

2005年08月18日

No title

「さてと・・黒瀬蛙一に大島こーすけとカズに西尾智浩と・・よし送信・・ピッ!!・・完了!!」
生沢ボスと毎回HARD ROCKS(ex.TWINZER)の曲順を確認してメンバーに伝える際に一斉送信の名前を眺めシミジミと思うことが有る。「うーむ・・類は友を呼ぶとか言うが、そろいもそろって・・みんな折り紙付きのバカチン達だなー・・。」と・・。
各人共あるポイントが強力に足りないあきれた仲間達だ。無論、俺自身も入る。甘んじて認めよう・・。しかし「お前が1番足りないから!」と彼らに言われた事が有る。いまだ納得は出来ん。
この中で一番古い友達はカズだ。もう十何年も前だがゴリゴリとギターを弾くあいつに出会った。池袋東急ハンズ裏のアダムというライブハウスで俺はワイルドフラッグあいつはバンプングラインドで対バンした。同い年と言う事とVAN HALENのボーカリストDAVE LEE ROTHに心酔&ノックアウトされていると言う事と「あー!こいつも俺と同じバカタレに違いない!」と言う心のシンパシーからかすぐに友達に成った。今度音一緒に出そうぜ!なんて言って遊びでスタジオに入ったりして付き合いが始まった。お互いのライブに行ったりしてよくぶっ倒れるまで夜通し飲んだ。
その後、月日は経ちメーカーとの仕事が無くなりポツリと放浪中の俺にツインザーに入るきっかけを作ってくれたのはあいつだった。それが無ければ黒瀬君とのリズム隊も無かった。EXCITE3の初ライブもあいつがブッキングしてくれた。flow-war中にドップリ沈んでる俺をパーッ!!と遊びに連れてってくれたのもあいつだった。
不思議と何かヤバイ時や何か始まる時にカズは現れる。身長190センチ、音も体躯も超ヘビー級。7弦ギターを自在にあやつり、性格は天井知らずのアッパー系。ビールと肉料理が主食でそれさえ有れば生きていける。物真似を連発して、似ているように錯覚させる厄介かつ強引なやり口は行動の随所に見られる。口癖は「てめーら全員ぶっころす!!」実家のかーちゃんや妹も遊びに行くたびにキンピラゴボウや烏賊と里芋の煮物などの家庭料理と無尽蔵な酒類で楽しませてくれる。東京で出来た子供の頃のような友達だ。
そんなカズが先日千葉ロッテマリンスタジアムの大舞台に立った。サマーソニックという巨大ロックイベントでマッドカプセルマーケッツのサウンドを7つの弦で支えていた。誇らしく雄姿であった。大観衆のスタジアムで弾く事の快感と恐怖は俺も知っている。また観せてくれ。楽しみにしている。
ずっと前にお前の車に空き缶をぶつけた事と結婚式のスピーチで喋りすぎた事は俺がやりすぎた・・今でも反省しているよ。今日もHARD ROCKSだな。リハーサルで会おう。お前のギターで今日も会場の全員天井知らずにぶっ殺してくれ!!
サマソニおつかれさん。ありがとな。

庄 05・8・18 昼飯前

P.S 21日の海の家ライブでは浜辺のカニさんや空のカモメまでぶっ殺してくれ!!

2005年08月14日

謎のバンドその2!?詩人と俺

『LED ZEPPELIN』『JIMI HENDRIX』『ROLLING STONE'S』に『THE BEATLES』・・。名を口にするだけでいつでもシビレる。きっと死ぬまで好きだと思う。周りも「あいつはあんなバンドが大好きなんだ。」と思って居ると思う。
それとは別に「それも好きなんだ・・へー・・」と思われるバンドがある。それは色んな場で公言してきたが、日本の『RCサクセション』で清志郎さん達の詞に今も心が引かれる。
『ドライブマイカー』『指輪をはめたい』『多摩蘭坂』『ツキアイタイ』『わかってもらえるさ』『空がまた暗くなる』『電気』『ハイウェイのお月様』『山のふもとで犬と暮らしてる』『よごれた顔でこんにちは』『ヒッピーに捧ぐ』『僕と彼女』『君が僕を知っている』等・・。曲を想うだけで心が上にも下にも明るい所にも淋しい所にも持って行かれる。ちょっと前までは俺が「RCが大好きでさ!!」と現場で言っても「うん???!お前が・・??」と思われる理由が分からなかった。
理由はflow-warをやってる頃分かった。答えは至極簡単、俺がそんな感じのバンドマンには見えないからである。自分がどう見えてるか分からないからよく色んな場でバカな発言や行動もした。誰もがある自分だけの孤独な話・・。
そんな俺が今年の春頃に詩人からバンドに誘われた。昨日クラブチッタ川崎でライブをやった『KAOX』で誘い主は鍵盤を叩きながら詞を紡(つむ)ぐ男『カオル』です。
彼は詩人として生きている。愛の事や人の事を、世の今の事や未来の事、外国の事件や花が咲いたり散ったり美しかったりする様な事を言葉に置き換え紙に書く。そして歌にして人に放つ。
カオルの風貌は黒瀬君が華奢(きゃしゃ)になったような感じでスナフキンハットに長髪で金髪で背丈も黒瀬君ぐらい。(ついでに歩くのも同じ位ポチポチと遅い。)ハスキーな喋り声は年上ながらとてもかわいい。笑い声も高らかでいい。
彼が詩人と知ったのは2001年に俺がLED ZIPPOLINでロバート・プランタローをやってた時で新横浜BEELSのトイレに9・11テロにまつわる彼の詞が貼ってあったのが最初だった。「そっかーカオルさんは詩人なのね・・」と思ってから随分経つが、昨日ライブが終わり家に帰り録ってもらったMDを聴いて「すげーいいじゃん・・」と感動した。
深夜、歌にじっくり耳を傾けてたらカオルに射ぬかれた。ピアノと歌と英二のドラムと俺のベースだけのちっちゃな形態だが会場の全員に届いた気がするライブだった。また本気に成っちゃうバンドが増えてしまいそうで益々頑張らなくては・・。カオル、誘ってくれてありがとう。来月の11日ライブも楽しみです。今度はリハーサルにも遅刻しないようにします。メールの返信とかも迅速にします。俺は『誰もがハローと言える場所』って詞が大好きだよ。『ジェネレーション』の詞はシビアに身に詰まされるよ。前に俺もいっぱい詞を書いたんだ。『ヨーグルト』って詞は中々良かったんだぜ。
9月11日のライブお暇でしたら皆さん是非。きっと素敵な空間になるでしょう。たくさん愛し合いましょう。

05・8・14 サマソニのオアシスに向かう電車より。庄

2005年08月08日

謎のバンドの正体!!?

昨日は秋田の千秋会館と言うところで黒瀬君と大島くんと西尾君とでライブを行った。
この謎の企画の始まりは黒瀬君主導で去年の秋頃に遡るのだが「M園くーん・・秋田の会館のクリスマスパーティーに出ないかい・・??」と言われたのが発端となる・・。「また今度は何を言い出したのか?この漢(おとこ)は??!」と思ったが「毎年有るパーティーでパーッ!と演奏してその後、美味しいもの頂いて帰って来る感じなんだけど・・。」と言い、続けて「メンバーはお喋りな君と西尾くんのトリオでパーッ!とパーティー盛り上げてさ!!」といつもの笑顔で言われた。「ボーカルも君と西尾君でひとつ頼むよー・・。」と言われた。
何が何やらどうも今ひとつ腑に落ちないが、時期としてはflow-warが終わって激しく傷心中の頃。秋田の皆さんとクリスマスと言うのも今の俺には悪くない・・と快く引き受けた。しかし客層は秋田のお年寄りからお子様まで・・、どんなライブ内容にしようか頭をひねった。三人でしかも歌いながらではチョイスも黒瀬君のひたいのように狭い。
子供も分かる歌!?お爺さんも分かる歌!?最終チョイスはプレスリーから坂本九、井上陽水やベンチャーズ、黒瀬君の歌う石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」など・・。それに何曲かのクリスマスメドレーと組んだ。スマップの『世界に一つだけの花』やモー娘の『ラブマシーン』なんかもアレンジ&トライしたが無茶だった。他はリハーサルに入り力技で何とかした。
いつもの僕らとちょっと違うがなかなか良い派手なパーティーバンドに仕上がった。本番も秋田の皆さんに暖かく迎えて頂き楽しく演奏できた。「歌が少々・・」と言う声も有りましたが、それは我々自身先刻承知の上、歌謡メロディーに力技は通用しない・・今後の課題である。雪深い土地でパーッ!と騒いだ良い思い出である。
と言うのが去年の年末の事。そして年が明けてすぐ「今度は八月の竿燈(かんとう)祭りで頼むよ!」と言われた。8ヵ月先はどんな毎日に成っているか分からないがアッという間に日は巡りそれが先日の八月六日。朝九時の便で秋田に向かった。
東北三大祭りと云われる『竿燈祭り』は雄大勇壮な物。竿燈とは竹竿を筏(いかだ)状に組んだ竿にギッシリ提灯をさげ。高さ最大で12メートル、重さは60キロにも成る祭りの出し物で、その竿燈が大通りを埋め尽くし観光客も100万人に上るという物。テレビで観た事は有ったが実態は度肝を抜かれるスケールだった。
ライブ後バスで案内され、町には色とりどりの屋台や、浴衣姿の娘さん達や、酔いどれ者に、子供の手をひくお爺さんに・・と華やかに彩られて、そんな中、演奏を終えた黒瀬様御一行は中心地へと向かった。ライブ後の高揚感と用意してもらった焼酎の水割りが心地良く遠くにゆらゆらと見えてきた竿燈の群れと太鼓に笛の音。「町のネオンは明るすぎて痛い・・。」と初めて感じた瞬間だった。竿燈のあかりは提灯の蝋燭(ロウソク)で無数に灯るが、とても淡くやわらかく暖かいのである。ネオンの下のその仄(ほの)かさはちょうど『千と千尋』の町や船のようで幻想的だった。
僕らは竿燈道中の真っ只中に席を用意してもらい相撲で云う『砂かぶり』状態に成って、汗や声援、怒号の中に座わり見物に・・そこでまたも唖然とした。12メートル、60キロにもなる竿燈だから屋台か何かで引いているかとばかり思っていたが祭り姿の男衆がその巨大な竿をたった一人で持ち支えて居るのである。手のひらや肩や頭で、アゴでお尻を突き出し腰で・・!!風に煽られてもバランスをとっている!!米の名産地!秋田男の底力を観させて貰いました。子供の竿燈も可愛らしくも勇ましく素敵な祭りを体験できました。
竿燈を稲穂に見立て豊作を願う祭り・・豊作であらん事を・・。m(__)m
祭りの終わりに『触れ合い竿燈』と言って一般参加の時間があり我々も果敢にトライ!!しましたが持ち上げれず惨敗。(T_T)とんでもなく重く手のひらは無茶苦茶痛くてクッキリと跡が・・。大島くんが博多っ子の威風をかまし少し持ち上げたのが精一杯でした。秋田の男衆はたいしたものです。
diary20050808jinbe.jpg diary20050808akita1.jpg diary20050808akita2.jpg

ライブで特筆すべきは衣裳・・。
「みんなこれだから!!」と黒瀬君が用意したのは祭り用の『はっぴ』で、これではまんまドリフである。昨年のクリスマスでは指揮者のような燕尾服でカッコ良かったが、今回は祭りの一環と言うことで我々も迷いを捨てはっぴを着ました。しかし楽屋はいっきに寄り合いのようになってしまい、大島くんと西尾くんはヤクザのように成ってしまい、黒瀬君はちびっ子のようで、俺はなんか祭り用の黒いズボンの履き方が分からなく寸が足りてるのか足りてないのかも分からず・・鏡の姿は謎でした。
もう一つの大問題は今回のメニューで誰もが分かる映画音楽を幾つか考えていて『戦場のメリークリスマス』や『禁じられた遊び』などのシビアなバラードを用意してあって、どの面さげてやれば良いのか??観てた方々の方が謎だったろうな・・。
ライブはパーティー形式で楽しく終わりました。来てくれた皆さんありがとう。そして秋田の皆さんありがとう、千秋会館の皆さんもありがとう。お土産もありがとう。比内鶏のレバ刺しと冷酒は今も心で溶けています。(^_^)/~
さて次のライブはエキサイトか・・。明日は大満月の日で今日は自宅にて曲を作る日です。みなさんも良い夏を・・乾杯。

庄 05・8・8 灼熱の昼下がりにて。

2005年08月04日

消えぬエネルギー

先日、WILD FLAGのライブがあった。強く刻まれる忘れられないライブの一つとなった。来てくれた皆さんありがとう。楽しかったです。なのでここで一つWILD FLAGの結成当時の話を少しばかりお礼の意を込めて・・。m(__)m
当時、俺はちょっとそこらに居ない程血気盛ん、野心溢れる20才、大学に受かり上京し満園三兄弟で東京都東村山市秋津5丁目に2DKのアパートを借りて暮らしていた。英二は隣町、清瀬市の大学に通い。俺は通学に二時間かかる越谷の先のせんげん台のそのまた先の大正大学に通っていた。英二は隣町で至近、俺は二時間?!兄の権限も有るが英二の所属する軽音楽部が朝から晩まで音だし可能でそれはそれは自由&便利でいつもいつもプレイしてた。
英二のバンドは英二が研究、模索した和太鼓のビートを主軸に長兄、太がリフを形成するかなりエキセントリックなバンド『JAPONA』(ヤポナ)で歯軋りする程格好良かった。俺のバンドは英二の同級生がギターボーカルを担当し一緒に上京した同輩がドラムスのトリオ形態でPOLICEをハードにしたようなバンド『DOBLE MAN』と言った。
両バンドともコンテスト等で好評価。しかしヤポナの方が二三枚うわ手で破竹の勢いでコンテストを登り詰めていった。英二はそのコンテストの頂点でベストプレイヤー賞をとった。俺も観ていたがそれは凄まじく周りを圧倒するプレイだった。そのプレイを審査員だった恭司さんに見初められた。場所は中野サンプラザ。俺は観戦者だった。英二は演奏者、恭司さんは審査員。初めて三人、共にした空間だった。
俺はその頃「英二は絶対にもっと上に行く・・。」と思っていた。半端じゃない練習量と、探求心、金も時間もガンガン音楽に注ぎ込んでいた。俺も負けじと毎日「プロになる!」宣言をしていた。やる気と元気は見上げたものだったと思う。 英二は遠い存在だった恭司さんについにセッションに誘われ「いいベース居ない?」と言われた時、何人か居るうちから俺を誘ってくれた。やる気だけの俺だった。
セッションは日をあけて二回行われて連絡待ちと言う事になった。「これはえらい事だ・・どうなるか・・?色んな事が変わっちゃうかも・・」とドキドキ暮らしていたら恭司さんから英二に電話が来た。「次はセッションじゃなく飲みながら話そうか。」と言われて二人でどんな話に成るのか考えながら渋谷の小料理屋に向かった。
VOW WOWを終えて正式にニューバンドを結成する話だった。二人そろって誘ってもらった。英二も俺も自分のバンドやその仲間達との葛藤が物凄く有ったが、その話に血が逆流するほど興奮した。結果、興奮の制御など出来ない俺はヘロヘロと酔っ払ってしまいグロッキー・・。「ご馳走様でした!」と恭司さんを見送ったのは覚えている。その後二人で山の手線に乗り、忘れられないのは乗り換えの池袋駅構内で、丸ノ内線改札の手摺りにヘロヘロのまま飛び乗り「俺の兄貴はスゴいんすよ!!」と道行く人、階段を上り下りする人に高々と自慢しまくった事です。英二に「お前、落ちるぞ!!」と引きずり降ろされ。二人そろって西武池袋線でかえったな・・。
駆け出しはこんな感じでした・・。(^ .^)y-~~~
ここから怒濤の練習の日々・・スゴい事がいっぱあったな・・。またそれも書きます。
ライブ来てくれてありがとう。次はいつになるか??お楽しみに・・。

庄 05・7・31から8・4正午頃